Rauber Kopsch Band1. 01

緒言

 私がラウベルの解剖学教科書を受け継いでその仕事を始めたのは50年も前のことである.この本が従来たどった運命については第18版の序言の中で述べておいた.第19版は上下の2冊だけにまとめて出されるが,ラウベルの時がすでにそうであったのである.第1巻には総論,組織学,骨学および関節学,筋学と脈管学がはいる.第II巻は内臓学,神経学,感覚器と皮膚を含むのである.

 記載に当たっては形態の点に主眼をいてある.機能的なことは関節学と筋学においては相当な程度にまで記し,その他の領域では多少の考慮をした程度である.まず形態を十分に知るのでなければ,その機能を理解することはできない.私は機能的なことにも眼を閉じないで,しかも正確な形態学的な記載をするという立場を固くまもった.もしも機能的なことを充分に取り扱うとすると,そのさい形態学的な記載もあまり短くしないとすれば,本書の内容は著しく大きいものとなるであろう.

 時代が進むにつれて本書の大きさがいっそう増すことは当然であるが,やはりそれには制限が必要である.この制限は挿図を本文の中に組み入れることにより,また短い発生学的な部分をさらに省略することによって成された.

 挿図はすべて新たに複製されたものであり,一部は適当な大きさに直された.つまり本書の図は全部が新しいのである.私が手がけた従来のすべての版がそうであったように,今度も本文は全部目を通して,改善され,近縁の研究結果が加えられることによって完全にされたのである.それに加えて同僚たちおよび親切な研究者たちの協力が,この版の場合も極めて大きい役割をしている.将来の版にも同様なご協力をお願いいたしたい.

 非常に有名な女医であるバイエルA. Beyerが私と平行して校正をみて下さった.この人は私が見落としていたたくさんの間違いを見つけてくれたのである.

 1954年12月26日

Berlin-Dahlemにて,

Fr. Kopsch

訳者の序文

 解剖学教科書としては世界中を通じて最もすぐれた著作ともいえるこのラウベル・コプシュは日本の医学生がおそらく誰でも知っている名前であり,今でも医学部に入学したものがおそらく最初にくき名前の1つであろう.この教科書の初版ができたのは1870~1872年というから,我が国では明治の初年にあたるわけで,それ以来実に85年以上にわたってヨーロッパで随一の名著とされ,したがって医学界の全体に甚大な影響をおよぼしており,日本にとってもこの本がどれほど功績を挙げてきたか計り知れないのである.

 ラウベルが自ら筆をとって大改革を成したという第3版が1886年にでたので,それから数えた70年,それをコプシュが受け継いでからもすでに50年あまりを経た.そしてコプシュ教授の改訂がよろしきを得て,上述のような老齢にかかわらず,内容はいつも生き生きとしており,版を重ねるにつれてその存在がますます光輝を放つにいたった.

 近年エルツェ教授はラウベル・コプシュの解剖学諸が何故にこんなに永い寿命をもつかについて,その理由として次のことを書いた.一つは内容が多くの教科書のばあいと異なって我流に偏しないで,純粋に客観的な立場をとっていることである.それに反して主観のつよい教科書はその著者の生命と同時に滅亡するのが慣わしであるといえよう.第二にその内容が解剖学の百科辞典ともいえるほどで,実に親切に,かゆいところに手がとどくようにできている.だから必ずしもその全巻を通読することを要しないが,医学をまなぶ者また医術を行うものがこれをいつも座右にそなえて,いつでもひもといてみることが大切なのである.

 コプシュ教授は1955年の始めに他界されたので,私どもはこの偉大な教科書がもちろんここで中絶するとは考えず,何人の手によって継続されるかを注視していた矢先であった.そのときにドイツの出版社と日本の書店との間で契約ができて,コプシュ教授の手がけた最後のものである第19版の完全な日本語訳をつくることになり,その仕事について私が交渉をうけた.熟考のすえ,この事業は日本の医学界にも充分に意義があると認めたので承諾した.さっそく1955年の秋から大学院学生3名藤田恒夫・酒井恒・志水義房とともに4人で分担をきめ,その翻訳をはじめて,1週に3回の輪講会をなして,満2年の星霜をへて,いまその訳文の印刷までほぼ終えることができた.

 やや残念に思う点は初めは図を全部入れて完璧なものとする計画であったのが,いろいろの事情でそれが不可能となり,文章の部分のみの訳書となったことで,この点は将来さらに日独間の交渉によって改められる日の近いことを期待している.このままでは原著の図と照らし合わせてよむのではなければ効果が薄いことになる.しかしまた考え直してみると,挿図のない解剖学書は19世紀のドイツではむしろ普通のことであったし,今世紀になってもその伝統を守っている解剖書が少数ながらあって,活用されている.その意味で,負けおしみの言ではあるが,この訳書の存在の理由は充分にあるといえるのであろう.

 本書の脚注の小部分は原著の註をそのまま訳したもので,その分には(原著註)と付記しておいた.その他の脚注はすべて--(小川鼎三註)とあるなしにかかわらず--私どもが新たに加えたものであって,これによって日本の解剖学書としての性格をいくらかでも出そうと企てたのである.(小川鼎三註)の一部は原著の語句についての解説であり,また一部は原文に対する意見の相違なのである.

 草稿をつくるに際しての分担範囲は小川が総論と内臓学の消化器系,藤田が骨学・関節学・感覚器学,酒井が筋学・神経学,志水が脈管学・内臓学(ただし消化器系を除く)である.小川は原文と合わせつつその全体を3度通読したのであり,この訳文の全部について責任をもつのである.

1957年10月  

小川鼎三

 

管理人から

 私がこの偉大な解剖学の大書をホームページに公開することは知識・経歴およびすべてにおいて役者不足であることは十分承知し、その叱責をあえて覚悟して公開する決心をした理由をここに記します。

 私がこのラウベル・コプシュの原著と故小川鼎三先生の訳本(故神谷敏郎先生より)を手にして、その内容のすばらしさと原著図版の美しさをこのまま眠らせてはいけない。小川鼎三先生が切望されていた図を入れた完全なものを多くの医学生および医師に残そうとされた意志を具現化できるチャンスを与えられたのではないかと考えた次第です。

 文章および用語は多少改変していますが、内容はできるだけそのままにしています。注意点としては細胞学および発生学に関しては最近の研究を反映していません。その概念が大きく変更されている個所がありますので参考程度としてください。最初は、原著および訳本の用語がJNAで記載されているので、新しい用語に変更しようと試みたのですが、図版の用語も変更しなければ不親切になることに気がつきました。ですから、ここに用いられている用語は新しい用語と古い用語が混在しています。

 今後も見直し作業および、用語の統一は平行して行なう予定でいますので、予告なしに変更されることがあることをお許しください。

 最後に私は教員ではなく、職員という身分であり、その多くの作業を大学から帰宅したあと自宅で行なっています。深夜2時まで作業を行なっても完全なものとするにはあと何年かかるか想像がつきません。そんな折昨年9月、日頃の不摂生により体調を崩し入院しました。私は、あと何年生きていることができるのか?と考えると不完全ではありますが、思い切ってここに公開することを決心した次第です。

2009年6月

船戸和弥

最終更新日13/03/08

 

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