Rauber Kopsch Band1. 03

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II.植物,動物および人間

 有機体Organisataすなわち生物(植物と動物)の世界は次の特徴によって他の生命のない自然物と区別されるのである.

1. 物質的の基盤をなすのは原形質Protoplasma, ならびに中心小体とをなす物質である.

2. 形の上の単位をなすものは細胞である.

3. 生命現象としては次のことが挙げられる.

a)物質代謝Stoffwecsel,すなわち物質を摂取し,消化し,排出すること;

b)内部成長inners Wachstum,結晶体と違って外部に付加することによって成長するのではない;

c)細胞分裂Zellteilungと組織形成Gewebebildung;

d)刺激を感受する性質reizempfindlichkeitと感覚Empfindung;

e)能動的な運動aktive Bewegung;

f)繁殖Fortpflanzung;

g)Tod,これは普通にはただ部分的な死滅partieller Untergangとしておこる.

 生物を植物と動物とに分けるのはただ日常の生活に基づくのである.深くつきつめていくと,その区別の標準が立たなくなる.最も下等な形のものになると,両方がたがいに合流するからである.比較的高等な形のもので初めてその区別が明らかとなり,いっそう高等なものをたがいに比較すると,その区別はいよいよ著しい.

 その場合われわれが気づくことは,植物は感覚作用や自らの意志による運動をもたないので,その諸器官が主として外部的な面の展開äußere Flächenentfaltungによって発達すること,無機物質によって生きること,空気中の炭酸ガスから炭素をはなれさせてこれを自らの体の建設に用い,同時に酸素が遊離されて,自らは酸素をごく少しだけ消費するにすぎない.

 それに反して動物は自由に,思いのままに運動のできる,そして感覚を持った有機体であって,その諸器官は主に内部的な面の展開innere Flächenentfaltungによって発達し,無機物と有機物を合わせて食物としてとり,呼吸により酸素を消費し,酸化作用の影響のもとに(分子内の)張力Spannkräfteと生活力lebendige Kräfteに変換させ,窒素を含む分解産物や炭酸ガスを外に出すのである.

 人間もまた動物界に属する.しかも脊椎動物門の哺乳動物網の一員である.まずCuview,ついでOwenなどの学者が人間のためにBimana2本の手をもつ種類,小川鼎三)という特別の目をつくったが,Huxleyおよびその信奉者たちは人間と類人猿とのちがいが小さいもので,科を区別する価置しかないものFamiliencharaktereとみなして,Linnéがいっそう古く人間を猿とともに合わせて霊長目Ordung der Primatenをつくったのが正しいとした.

 人間と類人猿とのあいだの最も主な解剖学上のちがいは,前者で脳がはなはだ大きいこと,頭蓋の形が異なること,歯および顎の発達が特別であることの他に,立って歩くこと(aufrechter Gang)であって,最後に述べた点が人間の足の独特な変形を起こし,手を歩行運動から自由にしたのである.

 いまのところ,人間の近縁関係については次のようにいうことができる.すなわち人間は霊長目に属する1つの特別な形であって,類人猿との近い姻戚関係は胎児の最も早い時期の形がはなはだよく両者のあいだでよく一致していること,および人間から猿へ輸血しても比較的に障害が起こらないことで示される.

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 しかし,人間は現存の霊長類の何れからも由来したわけでなく,これらといっしょに共同の原形Urformからできてきたものである(Klaatsch, Schwalbe), いろいろな点で人間は他の霊長類よりもいっそうよく原形を保っている.ことに体肢においてそうである(H. Klaatsch).しかし脳がはなはだ大きく発達していることでは人間は他のすべてのものを凌いである.人間が初めて地球上に現われたのは古い時代にさかのぼるのであって,それは第3紀である.H. Klaatsch, Ergebnisse der Anatomie.1899,1902.-G. Schwalbe, Naturwiss. Rundschau.1903.-M. Westenhöfer, der Eigenweg des Menschen. Berlin ,1942.

 人間が動物の主として単一Arteinheitであるかどうかの問題は,種の概念が学者によってちがうので,その答えが一致していないのは当然と云える.種Artと種族Rassとのあいだに厳密な境が決められないので,種族については次のごとく述べるより他ない.

 人間は環境によく適応する能力を持ち,またすぐれた精神のはたらきをもつので,地球のほとんど全域にひろがり,今ではおよそ24億6百万の人間が地球上に住んでいて,その半数が男,他の半数が女である.

 そして地球は149,000,000平方キロの陸地をもつので,男女一対の人間には差しあたり0.1239平方キロの土地が割りあてられることになる.

 ある一定の標準で区別すると数個の人種に大別される.Blumenbachは19世紀の終わりのころ5つの人種に分けた.すなわちコーカシア人種kaukasische Rasseモーコ人種mongolische R., エチオピア人種äthiopische R., アメリカ人種amerikanische R., マライ人種malaysiche R. である.

 他の学者は人種の数を7個,12個,32個などとしている.Cuvierはわずか3つの人種を認めた.すなわち白色人種(コーカシア人種)weiße Rasse, 黄色人種(モーコ人種)gelbe Rasse,黒色人種(エチオピア人種)schwarze Rasseである.

 人種はそのものとしては生きて行けないのであって,人類の全体が大きさのいろいろと異なる破片に分かれて雑多な種類の国家的な結合にまとめられて生活することによってのみ,その生存が持ちこたえられている.

 以上述べたことによって,人類の空間的な広がりと人種の成り立ちが一応わかったとしよう.同様なことが時間の問題についても必要である.言い換えると,人間の起原はどれほど遠い大昔におよぶのか,少なくともその証拠がある(nachweisbar)が,つづめて云えば人類はその最初の出現からどれだけの年をへたかという問題である.

 地質学はいろいろな植物および動物の形がそれぞれ一定の地質時代に出現したことを教えている.

 人類の始まりは第3紀の終わりに及ぶのである.あるいはむしろ次のごとく云おう.人間が存在したことの痕跡を客観的に示す何者も第3紀の終わりより以前には今までみつかっていない.それより深い地層にはみられないのである.そういう痕跡としては人間の骨格片や人間が働いてつくったもの,例えば何かの道具である.第3紀の末よりいっそう深い地層では人間の存在したことを示す痕跡は今日までただの1度も発見されたことがない.もちろんそういう深い層で多くの動物の骨などは度々,そしてあちらこちらで見いだされているのである.ところが第3紀の上部の地層では人間の存在を証明するものが諸地でみつかっている.そこでこの点からしてすでにその時代に人間が空間的にある程度広まっていたことを考えなければならない.

 しかし人類が発祥以来経た年齢をはっきりした数字で云いあらわすことはできない.いろいろの想像は述べられているが,その数字はたがいにはなはだしくかけ離れている.人類が閲した年齢を数的にあらわす問題ではそれが何時(Wann)ということは先頭に立たないで,如何ようにしてそれが決定されるか(Wie)ということが先頭に立っている.だからわれわれは人類の地質学的な年齢を知ることをもって満足することにしよう.その地質学的な年齢は今までに客観的な証拠で決定されえたのであるから.

Ranke, J., Er Mensch. Leipzig,1894(通俗的).-Rauber, A., Urgeschichte des Mensche. Leipzig,1884.-Schwalbe, G., Ziele und Wege einer vergleichenden physische Anthropologie. Stuttgart,1899.-Schwalbe, G., Zur Frage der Abstammung d. Menschen. Zeitschr. f. Morph. u. Anthrop.1906. この年より以前の文献を全部載せてある.Wieberschem. R., Der Bau des Menschen als Zeugnis für seine Vergangenheit. 4 Aulf.1908.

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最終更新日 10/08/22

 

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