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 生物体を成している細胞の大部分はその個体が死んだ後もなおしばらくは生命を続ける.それも生物の種類と細胞の種類によって様子がかなり違う.温血動物の細胞で,物質代謝および熱の影響からみはなされた細胞は最も早く死んでしまう.

 ここの細胞の老衰と死滅は一部は原形質に,一部は核にあらわれるのである.死にむかいつつある細胞でも核がなお或る段階の運動をしめす.目前にせまっている破滅がいわば刺激としてはたらくのである.死滅に近づいた卵胞上皮細胞では核のクロマチンが密集して球状のものになる.ついで核の細胞体に対する境がくずれて,後者のなかにクロマチンの塊が散らばってみられる.原形質のなかにおそらく脂肪より成ると思われる多数の微細な小滴があらわれる.最後に細胞体がこわれて,核の破片が卵胞液のなかに溶ける.この現象をFlemmingは染色質溶解Chromatolyseとよんだ.細胞の死滅するいま1つ別の行き方は原形質の水腫様変化Hydropisierungであって,その例は成長し続ける骨の骨化帯のところの軟骨細胞である.また別の行き方が角化Verhornung, Keratinisierungであって,表皮が小鱗をなして剥げておちるのがそれである.なお脂腺の細胞のように脂肪化することFettmetamorphoseもあり,あるいはその他でも腺の分泌物をつくるために細胞が消耗して死滅することがある.

 正に死につつある生のままの細胞の内部でどんな化学変化が起きるかをしらべてみると,生命の停止と同時に分解Zersetzungenがはじまる.それは腐敗とは別であり,腐敗を起こす微生物の存在を要しないのである.グリコーゲンやその他の含水炭素を変化させる酵素があらわれる.ついでクロマチン(ヌクレイン)の分解がはじまる.しばらくすると,死んだ細胞の内部あるいはその近くに結晶があらわれるが,これは主にコレステリンと脂肪酸からなっている.ときとしては分解現象が深く進んだ結果としてロイチンLeucinやチロジンTyrosinがでてくる.(A. Kossel. )

 何世紀も前の文学者が老衰に関してつぎのような適切な表現をしている:Hebescunt sensus, torpent membra, visus, auditus, incessus, dentes. Sicmagna pars mortis jam praeteriit; quod reliquum est mors tenet. (鈍くなる感覚,麻痺する四肢,目も耳も障害をうけて,歯も同様である.死のそんなに大きい部分がもうそばを通っている.すなわち残るのは死の到来のみだ.)

   Bichat, X., Über Leben und Tod.1802.-Goette, Al., Über den Ursprung des Tode S.1883.-Weismann, A., Uber die Daucer des Lebens; Über Leben und Tod.1882および1884.-Merkel. Fr., Über die Gewebe beim Altern. X. Internat. Kongreß. 2. Bd.-Mühlmann, M., Über die Urasche des Alter S.1900; およびErgebn. Anat. Entw., 28. Bd.,1929.-Westergaard. Die Lehre von der Mortalität und Morbidität. 2. Aufl. Jena,1901.-Doms, Herbert, Über Altern, Tod und Verjüngunng. Ergebn. Anat. u. Entw., 23. Bd.,1921.-Korschelt, E., Lebensdauer, Altern und Tod. 3. Aufl. Jena,1924-Bürger, M., Altern und Krankheit. G. Thieme, Leipzing 1974.

6. 細胞の再生Regeneration der Zellen

 生理的あるいは病的に生じた物質欠損を補充することによってどんな程度にでも元の状態に復そうとする力を再生Regeneration,またはReparation(修理の意)というのである.

 細胞じしんの再生zellulare Regenerationということああるだろうか? つまりここの細胞がその身に物質欠損を受けたときに修理できるかどうか,わわれの経験はそれについて肯定の答えをあたえる.次の観察をあげておこう.

 滴虫類Infusiorienの体を人工的に切って実験すると核をもたない部分は生き続ける力をもたないようである.それゆえ,M. Nussbaum (Arch. mikr. Anat., 26. Bd.,1886)はつぎのごとく述べた.1核と原形質はそれらがいっしょになっていてのみ生きてゆくことができる.それぞれ孤立すれば,多少の時間の差はあるが死んでしまう.2. 核は細胞がその形をつくってゆくエネルギーformgestaltende Energieを保つために欠くこのできないものである.

 卵細胞から核を取り除いたものを人工的に受精させることができる(すなわち1つの核をもつわけである),そうすると分裂が起きて胚が発生する(Driesch, Boveri, Delage). Schmitzはミドリゲ類Siphonocladiaceen(緑藻類に属す)の細胞をばらばらにこわしてその個々の断片についてしらべると,すくなくとも1個の核をもつ断片だけがその後に生きつづけて,独立した新しい細胞にあることができるのを知った.Strasburgerたちも同じような他の例を述べている.やはり緑藻類の一族であるイワヅタCaulerpaでは驚くべき再生能力が証せられている.この植物は沢山の核をもつ単一の細胞である.すなわち多核の巨大細胞ということができるし,またいくつかの根,1本の匍う根茎Rhinzom,茎や葉までもった1個の合胞体といえるのである.ところがこの植物に生殖器は今日まで何もみいだされいない.その繁殖は自然に,あるいは人工的に断ち切られた部分が再生することのみによっておこるのである.

 比較的高等な動物や人間においても個々別々の細胞Einzelzellenの再生量句はかなり多く知られている.もっともよい例は神経細胞である.生きている体で神経細胞の突起が切断さえると,その中心端すなわちその突起をだしている神経細胞とづづいている切り口の方が次第にのびてくる.そしてかなりに行き届いた修理が起きるのである.他の種類の再生としては細胞の全体,細胞団の全部,はなはだしいのはさらに異なる種類の組織の集まりが死滅したために生じた物質欠損を補う場合である.

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最終更新日13/02/03

 

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