唯物論 materialism

最終更新日:2002年05月10日 船戸和弥のホームページ

 哲学事典(森 宏一編集、青木書店 1981増補版)(p. 483-4)から引用

 観念論に対立する哲学上の立場。ふつう、生活するすべての人びとは自然発生的な唯物論の立場に立っている。すなわち、自分の意識のそとに自然物をはじめ、社会的存在物も、すべて独立に存在しており、自分はそのなかに存在し、それらと種々な関係をもって生活しているとしている。人間の意識のそとに、これとは独立に事物が存在することを認めるのが、唯物論の根本的特徴である。唯物論哲学は、この自然発生的な唯物論から出発し、それを理論的に基礎づける。唯物論は、世界について物質が第一次的で、精神・意識は第二次的であり、物質としての世界は時間的にも永遠で無限だとし、なんら神というようなものによって創造されたのでなく、それ自体で存在し、精神・意識といわれるものは物質に基づいて成立すると説く。それは、俗に、物質万能主義とか物質だけを尊重する立場とかいう、道徳的また一般生活態度とはかかわりないものである。このように、唯物論は物質を基礎にしているので、それはまず自然の状態を解明していくことからはじめる。つまり、宗教的・観念論的立場が、なんらかの超自然的なものを基礎にして世界を説明しようとするものとは根本的に対立し、自然の科学的研究と当初から密接につながりをもっている。また、社会的見地からいうと、唯物論は歴史上、ふつう進歩的な階級または階層の哲学としてあらわれてきた。それは、自然に対する人間の力を増大させ、したがって生産の発展に関心をもち、こうして社会の前進をうながす立場になっているからである。そこで、社会的実践における。とくに生産活動における人間の経験の蓄積、そして科学的知識の進歩が、唯物論の前進をうながしたし、またこの哲学はそれらを促進させるものである。

 唯物論の歴史は、哲学が奴隷制社会において発生すると同時にはじまっている。それは、インド、中国、ギリシアにみることができる。それが体系的なかたちをとって示されたのは、およそ紀元前6世紀のギリシアにおいてであった。それは、自然の物の運動・変化をとらえておのずから(自然発生的に)弁証法的見解をしめしており、あたまの自然物からなる世界の、根源的な物質をたずねた(それを水または火などとしてしめした)。すなわち根源的物質の変化によって万物が生じるとしたのである(タレス、ヘラクレイストら)。この見解は、自然における因果必然の法則をとらえるようになり、また諸物体の根源を原子とすることによって形而上学的な、そして原子論的唯物論へと移っていった。この原子論的唯物論は、古代唯物論として中世にいたる期間、継承された。中世封建制社会での支配的イデオロギーは宗教であり、ヨーロッパではキリスト教であったが、その神学のうちで唯物論は唯名論のかたちをとり、また汎神論のかたちをとってあらわれており、やがてこれらの見解は中世神学思想、観念論の根本を掘りくずしていくようになる。それは近代資本主義の発展とともにあらわれてき、経験的、合理的な探究がおこなわれることによって従来の宗教的、神学的、スコラ学的思弁が批判にかけられ、排除されて、17世紀にみられるイギリスの唯物論の主張となってあらわれた(ベーコン、ホップズ、ついでロック)。この思想をついで、18世紀にはフランス唯物論があらわれ、これは当時唯物論をとなえながらもなお理神論の立場にあった見解をのりこえて、明瞭な無神論の立場を主張した(ラ・メトリ、ディドロ、ドルバックら)。このことや、フランス唯物論のいちじる特徴をなしている。しかし、17~18世紀の唯物論は、ルネッサンス期以来発展してきた科学、数学・力学の影響のもとに、また当時の科学が自然の個々特定の領域にたずさわっていたので、機械的な見方で世界を理解することになると同時に、世界の各領域をそれぞれ個々に分立した状態でとらえて、ここに形而上学的・機械的唯物論となって説かれたものであった。そしてこの唯物論は、人間の社会的実践を唯物論的立場から理解するまでにいたらず、そのためにその世界観は観照的、すなわち世界を眺めて解釈するという見地から抜け出ることができず、社会についての見解では、精神の働きで社会のありさまがきめられるという観念論になっていた。こうした唯物論の頂点は、19世紀半ばのドイツのフォイエルバッハの人間学的唯物論によってしめされた。19世紀なかばは、ロシアの革命的民主主義者(べリンスキー、ゲルツェン、チェルヌィシェーフスキー)らによってフォイエルバッハよりさらに進んだ唯物論の思想が説かれ、人間の社会的実践の意義や従来注意されなかった弁証法の意義の認識によって、唯物論の発展をもたらしたが、まだ社会発展の観念論的な理解をまぬかれていない。マルクス主義の、弁証法的および史的唯物論が出現したことで、新たな段階が画された。これは、世界をたがいに関連をもった一全体ととらえ、それは固定して動きのとれないものではなく、不断に運動し変化し発展する、すなわち弁証法的に存在することを明らかにするとともに、人間の世界についての認識の発展は社会的実践にあたること、その基礎にあるのは物質的生産にあることの理解に達し、実践の意義を強調して観照的立場を脱し、このことにもなって社会発展についても唯物論的見地をおしひろげて、自然・社会、人間の思考、いいかえられば世界全体をすべて唯物論の立場からとらえることになった。したがって、この見解は、つねに社会的実践の発展、科学的知識の発展とむすびついて、みずからを発展させていく。こうしてマルクス主義唯物論哲学が世界についての真実性を明らかにするにしたがって科学者のおおくも世界観に引きよせられてきており、さらに重要なことは、この哲学によって世界を変革すること、現在の資本主義世界の諸矛盾を解決し新しい社会を出現させること、その革命勢力の中心である労働者階級やすべての進歩的な人びとのたたかいの思想的武器として、その実効をあらわしつつあることである。