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 これらの変異をヒトの胎児における所見や,さらに猿類(Affen)や半猿類(Halbaffen)における所見と比較することによって,Rosenbergは次の考えに達した.すなわち下方へ伸びている胸郭や,下方に位置のずれている仙骨は先祖型atavistische Formenであり,短縮した胸郭や,上方に位置のずれている仙骨は未来型Zukunftformenだというのである.

 胸骨肋と弓肋とのあいだの境界は,胸椎と腰椎の境界と同じ方向にずれるのを常とする.発生学的なっことを考慮に入れ,さらにサルをひきあいに出すことによって,ここにも同様に先祖型と未来型とが区別されている.すなわち第15脊椎の肋骨がなお胸骨に達する場合は,祖先型と見てよい.また最後の胸骨肋が第13脊椎に所属するときには,未来型なのである.

 Rosenbergはさらにヒトの胸郭の上端に現われる変異をも同様の観点から解明しようとした.多くの下等脊椎動物では環椎に続くすべての脊椎が独立した肋骨をつけている.ヒトでは胎児のときに第7脊椎にはほとんど常に,第6脊椎にも時として独立した肋骨がついている.それでヒトでは個体発生の途上に,胸郭の上端部で退化的な変化がおこるわけである.そこでRosenbergはこう考えている.つまり頚椎と胸椎の境界は事実下方へずれようとする傾向をもち,従って第7脊椎の肋骨は祖先型であり,第8脊椎の肋骨が退化するのは未来型であるというのである.

 これに対して最も強調されるべきことは,胸郭の上端と下端の変異のあいだに全く疑いの余地のない相関関係が,しかも同じ傾向の相関関係が存在するということであって,胸郭の上端も下端も,仙骨の上下端も,みな同じ方向にずれる傾向をもつのである.脊椎の変形について理論的に論じる時には,いつもこのことを考えておる必要がある.

 (以上H. Adolphi)

 H. Freyは脊柱の変異について彼女が得られたいろいろな知見を,次のようにまとめている(Morph. Jhrb., 62. Bd.,1929).「総合的に見て150例中68.5%が統計学的に正常(7:12:5:5-すなわち尾骨は問題にしていない)である.その他の31.5%のものは分節の数が31, 30, 29または28であって,13型に分けられる.そしてこれらの変形の大部分が仙骨の部分に現われるのであって,これに反して可動椎の部分では,正常からはなれているものは10%しかないのである.このことは他のいろいろな人種でも見られている.正常からの逸脱は男女両性で頻度は変わらないけれども,分節の数が男ではどちらかといえば増し,女では非常に明らかに減ずるという傾向がある(日本人の脊柱を欧米人のものと比較した古典的業績として長谷部言人,Die Wirbelsäule d. Japaner, Zeitschr. f. Morph. u. anthrop., Bd 15, Hft 2,1912がある).」

 Heidsieck (Z. Anat. Entw., 76. Bd.,1925)は環椎の同化とともに後頭椎の顕現(150頁参照)の微候のみられる1例を報告し,さらに他の2例をAnat. Anz., Bd. 72. Bd.,1931に期している.-H. Frey (Vierteljahrsschrift Naturforsch. Ges. Zürich, 63. Jhrg.,1918)はヒトの胸郭の変形過程の標識となるいろいろな特徴の従属関係を強調している.その出発点は脊柱の短縮である.腰椎と仙骨の境界の移動が原因となって,最下肋骨が次第に退化し,ついに完全に消失するに至って,胸椎と腰椎の境界がずれるという現象をひきおこす.肋骨弓の変化に富む構成もこれと深いつながりをもつのである.胸郭の全体的な高さと胸郭の高さと胸骨とはいつも他から影響を受けることがない.胸郭の高さは,肋骨をもつ脊椎の数が減っている場合には,1つ1つの脊椎の高さが代償的に増しているために,代わらないのである.それであるから,ヒトの胸郭においては,短縮という言葉よりも変形Umformungという言葉を使うべきである.-ところでH. Stieve (Z. Anat. Entw., 60. Bd.,1921)は,脊椎,肋骨,および胸郭全体の左右の非対称を研究し,それに基づいて次の結論に達した.これらの器官がいろんな風に逸脱して形成されていることは,すでに個体の原基において見られるのが常であって,生体の変異性のほんの1つのあらわれにすぎないというのである.それは進歩的あるいは退化的な発生の過程ということで理論づけ得るものではない.変異はそれ自体として先天的なもので,多少の特性は外部の要因によって部分的に影響をうけるとはいっても,胚のときに定められた一定の限界の中で変化を受けるだけである.-この見解に対してAichel, Rosenberg, およびFrey (morph. Jhrb., 62. Bd.,1929)が反対している.Freyによれば,変異は1つとして偶発的なものはなくて,その現われ方は法則的であって,系統発生の過程を示すものであるという.変異の原因が何であるかは知ることは,まだ成功していない.-Aichei., Verh. anat. Ges.1922.-Rosenberg, Emil, Anat. Anz., 59. Bd.,1925.

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最終更新日13/02/03

 

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