嗅神経[Ⅰ]

 

 

 嗅粘膜は鼻腔外側壁および鼻中隔上部の嗅上皮は黄褐色の特殊な上皮で、この中に嗅覚受容器がある。嗅覚受容細胞は双極性ニューロンで、特殊な樹状突起を、嗅粘膜内の支持細胞の間を通って、粘膜表面にのばし、尖端は嗅小胞という膨大部を作って終わる。嗅小胞から数本の毛状の運動毛が表面の粘膜内にのび出している。この線毛の細胞膜に、においの分枝を感知する受容器がある。繊細な無髄の中枢性突起が嗅糸(0.2μmほどの細い軸索)を形成し、篩骨篩板にある篩骨孔を通って鼻腔から出て硬膜とクモ膜を貫き、前頭蓋窩の嗅球腹側に入る。この極端に細い線維は無髄で伝達速度が非常に遅い。嗅糸は双極性嗅覚細胞の中枢突起であって左右それぞれ20本ほどの束をつくるが、これをまとめて嗅神経と呼ぶ。嗅上皮は形態学的に感覚細胞の原始的な形態をとるもので、もっとも原始的な特殊感覚であるという考えを裏付けしている。嗅覚受容細胞は寿命が数日であって、その軸索は常に嗅球に向かって伸びてシナプスを新生している。このようにその中枢突起を直接中枢に送る感覚細胞は下等動物では珍しいものではない。

 

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 イヌ、シカ、両生類、一部の鳥類などの多くの動物が主に嗅覚に依存しつつ食物の探査や敵味方の識別、あるいは、異性接近を行う。この主の動物では当然のことながら嗅覚伝導路が非常に高度な発達を示すが、その伝導路系が動物の攻撃行動指令性の脳内センターに密接な連絡を示している点も見逃せない。ヒトでは嗅覚の担う役割が主要な緒感覚のうちで、おそらくは最少と考えられる。しかしヒトの嗅覚伝導路は下等動物から引継の跡を示すかのように、非常に複雑である。そのうえに、動物実験のもたらす不整合データの山積みがり、初学者はたいていの神経解剖学の教科書の嗅覚伝導路を扱う章ではたくせんの異説や奇妙な用語の氾濫に、出鼻をくじかれる思いを抱く。

 

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 鼻腔の上皮組織内に存在している嗅覚刺激受容性の細胞は、神経細胞であり、嗅覚伝導路における第一次ニューロンにはかならない。第1次ニューロン(双極性)の軸索は上行して嗅球に侵入し、そこに存在する第2次ニューロンにシナプスを介し信号を伝える。第2次ニューロンの軸索は嗅索を構成するが、その嗅索はしばらく後方に走行してから内・外側嗅条への枝分かれを示す、内側嗅条と外側嗅条との間の領域が、前有孔野である。内側弓状に含まれる軸索の多くは、梁下野(別名:嗅傍野、中隔野)あるいは前有孔野に終わるが、一部は前交連を通過し反対側の梁下野に終わる。外側嗅条に含まれる軸索は側頭葉の鈎をなす大脳皮質と、これの奧に位置している扁桃体核に終わる。梁下野、前有孔野、鈎皮質の三者は嗅覚刺激を「解釈」する能力を備える大脳部位(すなわち1次嗅覚中枢)であるとされる。

 ヒトでは嗅覚が記憶を誘発させたり、情動的な種々の反応の引き金となったりすることが知られている。たとえば良質な食品の香りは喜びの気持ちや唾液分泌を、反対に腐った卵の嗅は嫌悪感や吐気、場合によっては嘔吐までを、それぞれもたらす。また、ある種の香料は性的情動を高ぶらせ(嗅覚の根源的意義)、特定の嗅が遠い記憶を呼び起こす。

 

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 嗅覚反射の主要神経経路は次のようである。扁桃体核から発する線維のうちで、分界条と呼ばれる小束をなすものは、弧を描くような走行ののちに視床下部へと進。扁桃体核からの短い線維群は、海馬に達してから脳弓を形成するニューロンへのシナプス結合を行う。脳弓は大きな線維束であり、これも弧を描くような走行を示したのちに、乳頭体(視床下部の一部分)で終わる。梁下野からも短い線維が出るが、これも視床下部に終わる。1次嗅覚中枢からの線維結合がすべて視床下部へ集まるのは、驚くにあたらない。

 視床下部が嗅覚、味覚、情緒の統合センターであると同時に、自律神経系の最高中枢部位としての役割を果たすためである。嗅覚反射路は視床下部からさらにのび出て、間脳の緒運動ニューロン起始核や網様体核に達する(乳頭被蓋路、背側縦束などを経由)。乳頭体より発するニューロンうっつたい視床路も大きな線維束であるが、これは視床前核に終わる。また、視床前核からはっする線維が帯状回に達していることが知られている。しかし、乳頭視床路とその先の神経経路がどのような機能に関係するのかは、不明である。

 辺縁系という語が、嗅覚伝導路や嗅覚反射路を中心とした脳の一定部分を指すために用いられる。すなわち、扁桃体、海馬、梨状野、脳弓、分界条、視床髄条、灰白層、正中前脳束、手綱、手綱交連、反屈束、ブローカの対角帯などが辺縁系に含まれる。辺縁系の概念は理論的観点のみでなく実験的研究の面でも注目を集めてきている。

 

嗅神経の臨床的側面

 鼻粘膜内の嗅覚受容細胞、嗅球あるいは嗅索の損傷は嗅覚消失をもたらす。髄膜が伸び出て、嗅神経を篩板を貫くところまで包む。そのため、篩骨の篩板が骨折して髄膜を破ると、クモ膜下腔が交通して脳脊髄液が漏れる通路となる(脳脊髄液鼻漏)。この交通は、微生物が鼻から脳脊髄液に入る通路ともなる。篩板の骨折は、しばしば嗅覚細胞の軸索を嗅球から引き抜き、無嗅覚症を起こす。片側性の無嗅覚症は、髄膜の腫瘍(髄膜腫)が嗅球や嗅索を圧迫しても起こる。

 側頭葉の一部分で鈎と呼ばれる領域や扁桃体への損傷によって、しばしば鈎発作(幻嗅とこれに続くてんかん発作)、あるいは幻嗅のみ、あるいはてんかん発作のみが生じる。鈎発作の前兆をなす幻嗅で患者が体験する嗅いは、不快な性質のものである。

 嗅覚の脱失は先天的に、また、脳膜炎、前頭葉腫瘍、水頭症、頭蓋底骨折、動脈硬化、過剰の嗅覚刺激などによってみられる。

 嗅覚脱失の分類として次のものがある。

 

①先天性嗅覚脱失:嗅神経中枢障害

 

②本態性嗅覚脱失:嗅神経終末または嗅細胞の障害

 

③呼吸性嗅覚脱失:鼻孔の閉鎖による。

 

④機能性嗅覚脱失:ヒステリーなどによってみられる。

 サルで扁桃体を実験的に除去すると従順化し、いつも半分眠っているような状態になる。同じ実験操作をネコに施せば、仮怒と呼ばれるような、常に攻撃的な状態に陥る。しかしサル、ネコの両方に共通しているのは、扁桃体除去が性的活動の著しい亢進をもたらす、という点である。

 

解剖学用語(嗅神経)

1. 嗅神経 [I] ラ:Nervi olfactorius [I] 英:Olfactory nerve [I]

 →第一脳神経で、嗅細胞の無髄軸索よりなる約20本の線維束、篩骨篩板を通り嗅球(中継点)に入る。

 

2. (嗅神経枝) ラ:Fila olfactoria 英:Olfactory nerves