Rauber Kopsch Band1. 50

S. 574
上腕動脈Arteria brachialis

 上腕動脈は大胸筋の下縁で腋窩動脈からはじまり,橈骨頚の高さすなわち肘窩より約1横指だけ遠位のところまで達しており,ここで橈骨動脈を出し,ついでその終枝である尺骨動脈と総骨間動脈とに分れる.

 局所解剖:その走行の途中で上腕動脈は尺側上腕二頭筋溝の中を下方に走り,きわめて徐々に上腕の内側から外側の方に向う.そのすすむ方向は腋窩の中央から上腕骨の尺側上顆と橈側上顆のあいだの中点に引いたと仮定した線に一致している.肘窩の近くまではこの動脈がかなり表層を走り,その上には上腕二頭筋の縁と上腕筋膜,および皮膚が被っているだけである.肘窩では円回内筋と腕橈骨筋との間の溝に入り,上腕二頭筋腱膜Lacertus fibrosusの下にかくれる.また上方ではこの動脈が上腕三頭筋の長頭と烏口腕筋の間にあり,下方では上腕二頭筋の縁と上腕筋との間で尺側上腕筋間中隔の前にある,前腕では浅層と深層の両屈筋群のあいだにある(図650).

 これに伴行する上腕静脈Venae brachialesは2本あって,動脈の両側に密接し,この2本が短い横走枝によりたがいにつながっている.このようにして動脈のまわりに多くの場所で血管輪Gefäßringeが作られている.皮下を走る尺側皮静脈V. basilicaは,筋膜をへだてて上腕動脈の下半部の内側にある.肘窩では肘正中皮静脈がやはり皮下にあって,この動脈に接して斜めに通り過ぎる.

 正中神経N. medianusは初めから終りまでこの動脈と伴行する.腋窩ではこの神経が上腕動脈の外側にあり,上腕の中央の高さではその掌側に,さらに下方になると動脈の内側にある.尺側前腕皮神経を除いてそのほかのすべての神経はすでに腋窩でこの動脈から離れている.

 神経:上腕骨に分布する骨神経から細い枝がくる.また(HahnとHunczekによると)上腕のおよそ中央の高さで橈側前腕皮神経から出る1本の枝,および同じ神軽から肘関節の高さで出る2本の校がこの動脈に来る.枝について述べると,上腕動脈は若干の小さい筋枝Rami muscularesを付近の諸筋にあたえている.さらに上腕深動脈,近位および遠位の尺[側]側副動脈,橈骨動脈,尺側反回動脈をだす.ついで上腕動脈はいろいろな様式で終枝,すなわち尺骨動脈と総骨間動脈および正中動脈に分れるのである.

1. 上腕深動脈Arteria profunda brachii (図651)

 この動脈は上腕動脈の後内側壁から出て大円筋の縁に密接し,後方にすすんで上腕三頭筋の橈側頭と尺側頭の間のすきまに入り,橈骨神経とともに上腕三頭筋尺側頭の起始の上縁に沿って橈骨神経管を通りぬける.上腕三頭筋にかこまれて初めは上腕骨の後面上にある.ついでその外側面に達し,榜側側副動脈となって終る.上腕深動脈は筋枝のほかに次の枝を出している.

a)三角筋枝R. deltoideusは三角筋の下部にいたる.

b)上腕骨栄養動脈A. nutricia humeri.これは小結節稜の下方で,たいていそこに目立って存在する上腕骨の栄養孔の中にはいる.

c)中側副動脈A. collateralis media.これは上腕骨の後面でまず上腕三頭筋の尺側頭と橈側頭のあいだを通り,つひで上腕骨の外面に接しつつ尺側頭の筋質の内部を肘の高さまで下行し,そこにある肘関節動脈網Rete articulare cubitiの中に入りこむ.

d)[]側副動脈A. collateralis radialis.上腕深動脈の最終の枝である.これは上腕の外側面で橈側上腕筋間中隔の後を下方にすすむ, そしてそれぞれ1本の掌側枝Ramus volarisと背側枝Ramus dorsalisとに分れ,前者は腕橈骨筋の起始め掌側にあって,橈側回旋動脈と吻合している.後者は肘関節動脈網にいたる.

 変異:上腕深動脈から近位尺側副動脈がヨーロッパ人では8.6%日本人では16.3%において出る(Adachi).

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[図651] 肩および上腕(右)の動脈,背側(1/2) 

 棘下筋は中央の部分を切り取ってある.三角筋は割を入れて少し上に持ち上げてある.上腕三頭筋の橈側頭は切断して弁状に折り返してある.

S. 576

[図652] 上腕(右)屈側の動脈(1) (浅層) (3/5)

S. 577

2. 近位尺[側]側副動脈Arteria cbllateralis ulnaris proximalis(図650)

 この動脈は上腕の中央より上方で上腕深動脈の近くにおいて上腕動脈から始まる.またときとして上腕深動脈と共通の幹をもって起こっている.尺骨神経と並んで尺側上腕筋間中隔の背方で上腕三頭筋の尺側頭の上を下方に走り肘関節動脈網にいたる.

3. 遠位尺[側]側副動脈Arteria collateralis ulnaris distalis(図650)

 この動脈は肘窩よりやや上方で上腕動脈から直角をなして出る.尺側上顆の上方で上腕筋の上を内側にすすみ,上方と下方に向かって付近の筋に枝をあたえ,尺側上腕筋間中隔を貫き,肘関節動脈網の形成にあずかる.

 変異:上腕動脈の枝の変異としていちばん重要なのは上腕深動脈の起始が多種多様なことである.この動脈は正常では独立して出るが背側上腕回旋動脈から出ていることがある.あるいは背側上腕回旋動脈が上腕深動脈から出ることもある(572頁参照).--上腕動脈の幹の変異としては,これがときおり正中神経の後でなくて前を走り,そのさいは正中神経の方が動脈の後をラセン状に走っている.ほかの例では,多くの哺乳動物において顆上孔を有している場合にみられるのと同じように,上腕動脈が正中神経とともに顆上突起Processus supracondylicusの後を通って前腕に向かっている.この場合にはその途中で顆上突起と尺側上顆のあいだを弓状に張っている線維束を貫いている.このような例では顆上突起と弓状線維束の上に円回内筋の起始が上方に伸びてきて達している.ときには顆上突起が発達していないのにかかわらず,上腕動脈の位置が内側へずれている.しかし弓状の線維束は多少とも強く発達しているのが普通である.--まれには上腕動脈が始まってまもなく2本に分れ,またすぐにこの2本が合して1本の幹になっていることがある(上腕動脈の島形成Inselbildzang).--上腕動脈が正中動脈・尺骨動脈・総骨間動脈への分れかたははなはだまちまちである. 正常な場合と違っていて最もしばしば見られ,同時に最も興味ある変異はいわゆる上腕動脈の高位分岐hohe Teilungである.--Quainが調べたところでは481本の腕のうち387例は正常の位置すなわち肘関節の下方で分岐していた.ただ1例だけはいわゆる迷行動脈Vas aberransを伴っているため関係が複雑になっていて分岐がいちじるしく遠位にあった.他方,64例では上腕動脈が正常より早く分岐しており,しかもその位置には肘の上方から腋窩までのあらゆる段階があった,このような分れ方の場合,幹から早く分れて出る枝は4例ちゅう3例までが橈骨動脈であった.ときとして早く分れる枝が尺骨動脈のこともあった.つまり多くの例では近位で1本の動脈が出るが,これは正常では前腕で分れて出る橈骨動脈なのである.そして前腕において幹のつづきから分岐するのが尺骨動脈と総骨間動脈である.これに対して前腕にある幹から橈骨動脈と総骨間動脈が出て尺骨動脈だけが上腕で出ているということがまれにみられる.さらにもっとまれに総骨間動脈が上腕で起こっている.一高位分岐は多くは上腕の上部1/3でみられるが,それよりまれに上腕の下部1/3でみられ,最もまれに上腕の中1/3において見られる.しかしまた,高位分岐が腋窩動脈の変異と伴ってすでに腋窩においてみられることもある.この場合には上腕の全長にわたって2本の幹が走り,これらの幹から上腕に分布する諸枝が出ている.--E. Müllerは200本の胎児の腕について,そのうちの44例(22%)が高位分岐をしており,また成人については100本の腕のうち14例(14%)で高位分岐を観察している.AdachiはE. Müllerの記録から浅上腕動脈A. brachialis superficialisの出現頻度を計算して,ヨーロッパ人の成体では27%, 胎児では38%,日本人では25%であるとしている.--つぎにこれらの事柄をもっと詳しく調べてみると,橈骨動脈が上腕で起る場合にはしばしば上腕動脈の内側から始まり,ついでその主幹と共に下方に走り,しばしば肘窩においては筋膜と皮膚だけに被われており,少数の例では筋膜の上にあることさえあって,かなり急に他の幹の部分の上を外側に向かって越えて前腕にゆく.そのさい普通は二頭筋腱膜の上を通っている.しかし高位分岐の橈骨動脈が二頭筋腱膜で被われることもある.--尺骨動脈が上腕動脈の上部で分れる校となっているときには,この尺骨動脈は前腕への走行のあいだ多くは内側に向い,上腕骨の尺側上顆に近づいてゆく.そのさいたいてい筋膜のすぐ下を通り屈筋群の前にある.所々でそれが皮下にあり非常にまれには筋の下にある.1例において尺骨動脈が尺側上顆の後で浅層を走っていた.ときとしてこの動脈が橈骨動脈の前を斜めに通り過ぎるのである.

S. 578

総骨間動脈は腋窩動脈または上腕動脈から出ているときには上腕動脈の後方に伴って肘窩に達する,そして前腕の諸筋の間をへて深層に入り,その正常の位置をとる.--橈骨動脈が高位で始まるときには他の幹をなす部分が正中神経に伴って尺側上腕筋間中隔に沿って尺側上顆に向かって下行し,ついで円回内筋の起始のところで外側にまがってこの筋の下にはいり,肘窩の中央でその正常の位置をとるようになる. 上腕動脈が最後に分れて生ずる2本の枝がときとして肘窩の近くで横走する1によってたがいに結合していることがある.この枝はだいてい強い方の動脈からいっそう弱い方の動脈に向かっていて,その太さや形および位置はまちまちである,それよりまれに初めに分れた2枝がまた完全に合して1本となることもある.迷行動脈Vasa aberrantiaと名づけられているものは,長くて多ぐは細い動脈であって,腋窩動脈か上腕動脈から出て前腕にある動脈の1つか,あるいはその枝の1つとつながるのである.Quainの観察によると迷行動脈は9例ちゅう8例まで橈骨動脈とつながりまれに尺骨動脈とつながるのである.この変異は上腕動脈に高位の分岐が起こって,かくして始まつた枝がふたたび横走する吻合枝でたがいにつながっている場合に準ずるものと云える.--たいていの例で上肢における高位の分枝は左右同じ関係にはなっていない.すなわちQuainによると上腕動脈の高位分枝を示した61個体のうち43例は左右のうち1側にだけそのことが見られ,13例では両側に見られたが,その程度が左右で違っており,わずか5例だけで左右が同じぐあいになっていた.

4. 橈骨動脈Arteria radialis (図652600)

 橈骨動脈は上腕動脈と同じ方向をとって前腕をすすみ橈骨の遠位端までこの橈骨の走行に従って走っている.前腕の近位部では円回内筋と腕橈骨筋の間にあるが,それよりずっと遠位になると非常に浅層にあり,皮膚と筋膜のみに被われて腕橈骨筋の腱と橈側手根屈筋の間を通る.ついで手背に達するが,そのさい長母指外転筋と短母指伸筋の腱の下をへて第1中手骨間隙にいたり,そとに達して終枝に分れる.

 局所解剖:橈骨動脈の通る道は肘窩の中央から橈骨の茎状突起と橈側手根屈筋の間の中点ば向かって引いた1線に一致する.手関節の近くではこの動脈は広くなっている橈骨の遠位端の上に密接していて,そこでは皮膚と筋膜だけに被われているので,生体で外からこの動脈を容易に触れることができる.そこから橈骨動脈はその方向を変えて長母指外転筋と短母指伸筋の腱の下で手根部の榜側を越えて手背に達する.手背では大多角骨の上を通って第1中手骨間隙の初まりの部にいたり,長母指伸筋と交叉し,第1背側骨間筋の両頭のあいだで手掌に向かってまがう.そして直ち犀2本の終枝すなわち母指主動脈と深掌枝に分れるが,この深掌枝が,深掌動脈弓に移行するのである.  橈骨動脈はふつう2本の静脈を伴っている.前腕の中央部では橈骨神経の浅枝がこの動脈の外側にあるが,前腕の遠位端に近づくと両者は次第に離れそいく.

 神経:橈骨神経の浅枝からの枝.

 橈骨動脈の枝には次のものがある.

1. 橈側反回動脈A. recurrens radialis.これは腕橈骨筋と上肺筋のあいだを近位にすすみ,腕橈骨筋と橈側深層の諸筋および肘動脈網に枝分れする(図653, 654).

2. 筋枝Rr. muscularesは数多くの細い枝であって,橈骨動賑が前腕をずっと走っていく間にこれからつつぎつぎと出ている.

3. 掌側手根枝R. carpicus volarisは方形回内筋の遠位縁で発して,掌側手根動脈網にいたる.

4. 浅掌枝R. volaris superficialis.たいていは細い1本の血管で,母指球の諸筋の上かまたはその間を通って浅掌動脈弓に達するか,あるいはすでにそれより前に終わっている(図656, 657).

5. 背側手根枝R. carpicus dorsalis.これは手根の背側において背側手根動脈網Rete carpi dorsaleにはいるものである(図659, 660).

S. 579

[図653] 前腕(右)屈側の動脈(II) (3/5)

S. 580

6. 1背側中手動脈A. metacarpica dorsalis I. この動脈は第1と第2中手骨の底の近くで始まり,第1背側骨間筋の上を走って母指の背面の両側と示指の背面の橈側を養っている(図660).

 母指にいたる2本の背側指動脈Aa. digitales dorsalesは母指背面の両側縁を遠位にすすむ.また示指の背側指動脈は示指の背面の橈側縁にある.これら3つの指動脈が共通の1幹から出ないで,別々に分れて出ていることがある.あるいはそのうちの2本が共通の幹を作っていることもある.

7. 母指主動脈A. princeps pollicis.これは橈骨動脈の終枝の1つであって,橈骨動脈が第1背側骨間筋の両頭のあいだを通る間で,あるいはそこを通り抜けた後で始まる(図658).

 母指球の諸筋の下でこの動脈は3本の固有掌側指動脈Aa. digitales volares propriaeに分れているが,これらは母指掌面の両側縁と示指掌面の橈側縁を養っている.母指にいたる2本の掌側指動脈はしばしば1本の共通の小幹をもって始まる.示指の橈側縁に分布する掌側指動脈は橈骨動脈から別に分れていることがあって,これを特に橈側示指掌側動脈A. volaris indicis radialisと名づける.

8. 深掌枝R. volaris profundus.この枝は橈骨動脈の第2の終枝であって,これは深掌動脈弓Arcus volaris profundusに移行しその主要成分となる(図658).

 変異:橈骨動脈が高い所で起ることについてはすでに577頁で述べた.この橈骨動脈はときどき特に高位で始まる場合にすぐ皮下を通る.ときおりこの血管の位置が腕橈骨筋の尺側縁から掌側面に変わっている,また橈骨動脈が母指の諸伸筋の腱の下を通らないで,これらの腱の上をへて手関節を廻っていることがある.--橈側反回動脈A. recurrens radiaiisがしばしば非常に太くなっていることがあり,文はかなり多数の枝に分れていたりする.橈骨動脈が上腕で始まっているときには橈側反回動脈は上腕動脈の幹から出たり,尺骨動脈から出たりするが,また非常にまれには総骨間動脈から出ている.--浅掌枝はしばしばはなはだ細くて掌動脈弓とつながらずに母指球の短い筋のなかで消えてしまう.ほかの例では浅掌枝が非常によく発達している.そのときにこの枝が掌側動脈弓を作らないで,1本ないし数本の指動脈を出していることがある.ときとして浅掌枝が前腕のかなり高いところで出ている.Adachiによると浅掌枝が尺骨動脈と同じくらい太いか,あるいはそれよりもっと太くなっていることがヨーロッパ人で36.2%,日本人で8%に見られるという.なお586591頁の掌側の動脈弓の項を参照されたい.

5. 尺側反回動脈Arteria recurrens ulnaris(図653, 654)

 この動脈は短い幹をもち,まもなく掌側枝と背側枝に分れるが,これらの枝がしばしば独立して上腕動脈から出ていることがある.掌側枝の方がいっそう細く内側近位の方向にすすみ,上腕筋と円回内筋のあいだにあって,遠位尺側副動脈とつながる. 背側枝はそれよりも太くて浅指屈筋の下をへて尺側上顆の後面に達し,尺側手根屈筋の両頭のあいだで尺骨神経の走行に沿って近位に向い,筋や神経や関節に枝をあたえ,近くの動脈の枝(特に近位尺側副動脈)とともに肘関節動脈網Rete articulare cubitiにつながっている.

尺骨動脈Arteria ulnaris(図652, 653660)

 この動脈はたいてい橈骨動脈より弱くて,前腕の内側を遠位に向かって走っている.その起始からまず弓状にまがって尺側遠位の方向に向い,前腕の浅深の両屈筋群のあいだに入り,尺側手根屈筋に被われて,その腱の外側縁で豆状骨の外側に達するが,手関節ではなおこの腱によって少しく被われている.豆状骨の外側より遠位で尺骨動脈はその終枝に分れる.

 Adachiによると--前腕の遠位部で測定すると--日本人では100例中70例において橈骨動脈の方が太く,尺骨動脈の方が太いのは14例であり,同じ太さのものは16例であった.しかしJaschtschinskiによるとこの場所では尺骨動脈のほうが平均していっそう太いものであるという.

 局所解剖:起始では尺骨動脈は尺骨の烏口突起に密接しており,ついで深指屈筋の上にいたり,手根では横手根靱帯の上にある.

S. 581

[図654] 前腕(右)屈側の動脈(III) (3/5)

S. 582

この動脈はまず前腕の浅層の屈筋群によって被われるが,前腕のおよそ中央の高さでこれらの筋群から離れて尺側手根屈筋の筋質部に達する.さらに遠位ではもっと浅層にあり,そこでは尺側手根屈筋の腱がこの動脈の内側にある(図652).横手根靱帯の上でこの動脈は深浅2つの終枝に分れ,これらがともに外側に向かって走る.尺骨動脈は2本の静脈を伴っていて,これらの静脈は動脈を囲むようにして横走する多数の短い吻合によりたがいにつながっている.--この動脈の起始では正中神経がすぐその掌側面上にあるが動脈が内側の方にすすむので,この神経はすぐ動脈の外側にあるようになる(図653).尺骨神経はこれに反して尺骨神経溝のところでは動脈からずっとへだたっているが次第にこれに近づき前腕の中央の高さで動脈のそばに達し,その後はずっと動脈の内側にあっていっしょに走っている.

 神経:尺骨神経の掌枝Ramus volarisから出る多数の細い枝および前腕の遠位端で(HahnとHunczeckによると)尺骨神経の幹から出る1本の細い小枝がこの動脈にくる.

 尺骨動脈からは付近の前腕の屈筋群と伸筋群に筋枝があたえられるが,そのほかに次の枝が出ている.

1. 掌側手根枝R. carpicus volaris.何本かの細い枝であることが多くて,方形回内筋の遠位縁で発して掌側手根動脈網にいたるのである.

2. 背側手根枝R. carpicus dorsalis.やや強い1本の枝と細い数本の枝より成り,尺側手根屈筋の付着腱の下をへて背側手根動脈網にいたる(図655, 659, 660).

3. 浅掌枝R. volaris superficialis.これは太くて幹の続きをなし,尺骨神経の浅枝とともに短掌筋と手掌腱膜の下を橈側にすすみ,浅掌動脈弓Arcus volaris superficialisに移行している(586頁を参照).

4. 深掌枝R. volaris profundusは小指屈筋と他の指の屈筋の腱とのあいだか,あるいは短小指屈筋と短小指外転筋のあいだで深部に入り,橈骨動脈の深掌枝とともに深掌動脈弓Arcus volaris profundusを作る(図658).

 変異:R. Quainが観察したところでは尺骨動脈の起始は13例中およそ1例の割りで変異を示していた.この場合には尺骨動脈が腋窩動脈から出ることよりも上腕動脈から出ていることがずっと多く,しかも変異の見られる回数は正常に出る場所からその起始が遠ざかるほどますます減少していた. 前腕における尺骨動脈の位置は橈骨動脈の場合よりも変化が多い.尺骨動脈が正常の場所で始まっているときにはその位置にあまり変化が多くない.しかしこの動脈が正常には尺側手根屈筋の腱に接しているが,そうなっていないでこの筋から離れて走っていることがしばしばある.--尺骨動脈が高位で始まる場合はほとんど例外なくこれが上腕骨の尺側上顆に始まる諸筋の上を越えている,たいていこの動脈は上腕の筋膜に被われてその下にあるが,これがもっと浅くて皮下を通っていることがあり,その全経過を通じて皮下の表層を走り続けることがあり,あるいは後になって筋膜の下にはいりこみ,さらに遠位でこの動脈の正常な位置になるということもある.

 E. Zuckerkandl (1896)によると多くの例で(79%)尺骨動脈に2本の深掌枝があり,そのうち遠位のものが普通にはずっと強大である.近位の枝が欠けていることは決してない(100例をしらべて).しかし遠位の枝は21%に欠けている.近位の枝は豆状骨の近くで始まるが,遠位の枝は浅掌枝が曲がって浅掌動脈弓になるところから出ている(図658).

総骨間動脈Arteria interossea communis (図654)

 この動脈はたいてい尺骨動脈よりも太くて,深指屈筋と長母指屈筋のあいだで骨間膜の上にあり,背側と掌側の2本の枝に分れる.

 1. 背側骨間動脈A. interossea dorsalis(図655)

この動脈は骨間膜の近位部の隙間を通って伸側にいたり回外筋の遠位方にあらわれる.ついで浅深の両伸筋群のあいだを遠位に走り,多数の枝を伸筋群に出して,終りにはたいていは非常に細くなって手根に達する.この動脈から次の枝が出る.

S. 583

a)反回骨間動脈A. interossea recurrens.これは肘筋に被われて上腕の橈側上顆と肘頭のあいだの部分に向かって近位方にすすみ,付近の動脈(とくに中副動側脈)とつながる.

2. 掌側骨間動脈A. interossea volarisこれは骨間膜の掌側面において,たがいに接している深指屈筋の縁と長母指屈筋の縁とに被われて遠位方に向かって方形回内筋までいたり,そこで骨間膜を貫いて背側手根動脈網にはいる(図654, 655).

 この動脈は正中動脈A. medianaという長い細い枝を正中神経にあたえ,また栄養動脈を橈骨と尺骨に送り,さらに多数の筋枝を出している.

 神経:背側および掌側前腕骨間神経から来る(Rauber).

 変異:掌側および背側骨間動脈はときとして別々に尺骨動脈から出ている.また総骨間動脈が普通より高いところで起こっていることがある.これが少数の例で腋窩動脈から出ている.掌側骨間動脈が尺骨動脈の枝の一部や橈骨動脈の枝の一部を代行していることがある.

 いちばん多いのはこのような異常が正中動脈について起こっている場合であって,この正中神経に伴っている枝はときとして芸しく強く発達している(ヨーロッパ人で7.2%,日本人で8.2%, Adachi).正中動脈はふつう掌側骨間動脈の枝であるが,ときに尺骨動脈から出ており上腕動脈から出ていることさえある.この動脈が強く発達しているときにはたいてい正中神経とともに手掌に達して,浅掌動脈弓か,または若干の指の動脈とつながっている.

肘関節動脈網Rete articulare cubiti (図655)

 これは非常に豊富な動脈のつくる網であって,肘関節に向かってやってきた数多くの動脈枝によって生じ,肘関節の全体をとりまき,特にその後面で強くなっている.肘関節動脈網の構成には次のものがあずかる.

上腕動脈から

1. 橈側副動脈A. collateralis radialis

2. 中側副動脈A. collateralis media

3. 近位尺側副動脈A. collateralis ulnaris proximalis

4. 遠位尺側副動脈A. collateralis ulnaris distalis

5. 尺側反回動脈A. recurrens ulnaris

6. 橈側反回動脈A. recurrens radialis

7. 反回骨間動脈A. interossea recurrens

背側手根動脈網Rete carpi dorsale (図659, 660)

 浅層の部分は背側手根靱帯の上で皮下にある(図659).

深層の部分は本来の背側手根動脈網Rete carpi dorsaleであって手根骨の深部の靱帯装置にすぐに接して諸伸筋の腱の下に広がっている(図660).

 この網の形成にはまず橈骨動脈と尺骨動脈から出るそれぞれの背側手根枝Rr. carpici dorsalesが関与する.そのほか掌背の両骨間動脈の終枝がこの網にはいる.

 深層にある動脈網がよく発達しているときには,それから5本の背側中手動脈Aa. metacarpicae dorsalesが出て第2一第5中手骨のあいだで骨間筋の上を遠位にすすみ,掌側中手動脈Aa. metacarpicae volaresの穿通枝Rami perforantesにつながり,ついで背側指動脈Aa. digitales dorsalesに分れてそれぞれ隣り合った指背の両側縁部に分布している(図659, 660).背側指動脈は基節の背部と中節の近位半のみを養うのである.

 たいていの場合,各指の基部で背側指動脈の起始相互のあいだになお第3の枝があって,総掌側指動脈の分枝点につづいている.

掌側手根動脈網Rete carpi volare(図658)

 これは手根骨の掌側の靱帯装置の上にあり,掌側骨間動脈の弱い終枝と橈骨動脈の掌側手根枝,および尺骨動脈の掌側手根枝,それに深掌動脈弓からの2-3本の枝によって作られている.

S. 584

[図655] 前腕(右)伸側の動脈(3/5)

S. 585

[図656] 手掌(右)の動脈(I) (浅層) (5/6) * 橈側示指掌側動脈A. volaris indicis radialisが浅掌動脈弓から出ている(変異).

S. 586

[図657] 手掌(右)の動脈(II) 浅掌動脈弓Arcus volaris superficialis (5/6)

浅掌動脈弓Arcus volaris superficialis (図657)

 浅掌動脈弓は主として尺骨動脈の浅層の終枝と,同じ動脈の浅掌枝とからなり,これらの枝は横手根靱帯の遠位縁の近くと手掌の中央部にある皮肩の溝の所で弓状にまがって橈側に向い母指球の筋肉の方に走っている.

 遠位方に凸の弓を画くこの動脈弓は母指球に向かって細くなり,そこでたいてい橈骨動脈からの細い浅掌枝とつながる.ほかの例では動脈弓がそこまで達しないで,第1掌側中手動脈に達していることがかなり多いのである.この動脈弓は浅指屈筋の腱と正中神経の枝および尺骨神経の枝の上にあり,また初めは短掌筋により,ついで手掌腱膜と皮膚により被われている.これと並んで尺骨神経との交通枝(正中神経の)R. communicans(n. mediani) cum n. ulnariが走っている.

S. 587

 浅掌動脈弓の凹側縁から小さい枝が近位方向にでていって手掌腱膜などを養っている.それに対して凸側縁からは3本の強い総掌側指動脈が出る.これらは中手骨頭の近くで二叉に分れる.このようにして指の掌側に分布する6本の動脈,すなわち固有掌側指動脈Aa. digitales volares propriaeができて,これらが第2ないし第5指の掌側でたがいに向きあった側縁に沿って走る.しかし固有掌側指動脈は各指の掌側だけを養うのではなくて,中節から指頭までの背側をその背側枝によって養うのである.

 神経:正中神経が出す尺骨神経との交通枝からの細い枝による.HahnとHunczekの研究によれば尺骨神経と正中神経から多数の小さい枝が浅掌動脈弓と指動脈に達するという.

 さて小指の尺側を除くと指は全て掌側の動脈から血液をうけている.第5指の尺側にいたる枝は尺骨動脈の浅掌枝(まれであるが)から来るか,この動脈の深掌枝からでている.

 三本の総掌側振動脈はそれぞれ指の屈筋の腱のあいだで虫様筋の上を遠位に向かって走り,中手骨の小頭にいたる.そして固有掌側指動脈に分れる前に,たいていそれぞれ相当する背側中手動脈と深掌動脈弓からの小枝を受けている.固有掌側指動脈は各々の指において遠位にすすむとともに少しずつたがいに近づく形勢を示し,しかも所属する神経に被われて指の縁に沿って遠位方に走り,ところどころで深部にある横走の吻合枝をたがいに送りだし,また中節と末節では指背に枝をあたえ,さらに末節の爪粗面の近位でそれぞれ1本の掌側の強い終動脈弓と背側の弱い終動脈弓を作り,掌側および背側とも多数の枝に分れて終る.

深掌動脈弓Arcus volaris profundus (図658)

 深掌動脈弓は主に橈骨動脈の深掌枝によって作られる.これは浅掌動脈弓より弱い弯曲を示すが,いっそう長くてまたいっそう平らである.第1骨間隙の近位端で始まり,手掌の深部で第4中手骨に向かって横にすすみ,そこで尺骨動脈の深掌枝とつながる.

 この動脈弓は尺側に向つ.やや細くなり,中手骨の近位端と骨間筋の上にあるから浅掌動脈弓よりも手根骨に近いわけである.短母指屈筋,母指内転筋,各指の屈筋の諸腱,第4指の小筋群がこれを被っている.

  この動脈弓の凹側縁からは小さな枝が出るだけである.凸側縁からは掌側中手動脈Aa. metacarpicae volaresが出て第1・第2・第3・第4骨間隙を遠位に向かって走り,中手の遠位端でそれぞれ総掌側指動脈または固有掌側指動脈とつながる,骨間隙に入るところで掌側中手動脈ほそれぞれ1本の穿通枝Ramus perforansを出す.この枝は骨間筋のあいだを通って背側にいたり,相当する背側中手動脈A. metacarpica dorsalisと結合する.背側手根動脈網がよく発達していないときには背側中手動脈が掌側中手動脈の穿通枝から出ていることがある.

 変異:手の動脈はその配置の様子が非常に著しい変化を示す.いちばん多い変異は前腕の2つの動脈のうちの1つが普通よりも弱ぐなっていたり,その枝の1本が普通より弱くなっていて他の1本の動脈がそれに応じてよく発達しているという場合である.浅層の動脈枝が減少し,深層のものが増加していることが多い.

 次に変異を個々についてみると,しばしば浅掌動脈弓が弱くなっていたり,発達していなかったりする.その枝のうち指の動脈の1本(多くは第3と第4の指の動脈)が欠けていたり,あるいは指の動脈の2本または全部が欠けていたりする.後者の場合にはまた浅掌動脈弓も存在していないで尺骨動脈は第5指の筋に小枝をあたえた後に深掌動脈弓に移行している.

 多くの例でこのように浅掌動脈弓の発達が悪い場合にはそれを補なって深掌動脈弓が強大になっており,その掌側中手動脈が指の動脈を出している.

S. 588

[図658] 手掌(右)の動脈(III) 深掌動脈弓Arcus volaris profundus(5/6)

しかし多くの例で,ことに動脈弓を欠いている場合にはほかの動脈から,つまりほかの動脈が強大になって,すなわち橈骨動脈の浅掌枝,前腕正中動脈,あるいは掌側骨間動脈の強大になったものがその代りを勤めていることがある.

 まれに手における橈骨動脈の分枝がほとんど完全になくなっており,この場合は橈骨動脈から出るべき枝がすべて浅掌動脈弓から出ていて,同時に深掌動脈弓はなくなっている.ただしこのように手における橈骨動脈の分枝が欠けていたり,あまり発達していない場合に.やはり付近の動脈,とくに骨間動脈がその代りを勤めていることがある.

 少数の例では浅掌動脈弓も深掌動脈弓も作られていないで,中手と指に分布する動脈が直接いろいろな前腕の動脈から発している.

S. 589

[図659]手背(右)の動脈(I) (5/6)

S. 590

[図660] 手背(右)の動脈(II) (5/6)

S. 591

 次に記載するものはS. N. Jaschtschinskiの浅掌動脈弓および深掌動脈弓に関する研究の一部である.比較解剖学的にみると,尺骨動脈は多くの哺乳動物(有袋類,貧歯類,有蹄類,翼手類,食肉類など)において欠けているか,あるいは非常に小さいもので,それに反して橈骨動脈は多くの哺乳動物において広い範囲にみられる.もっともその発達の程度は低いものである(Zuckerkandl).尺骨動脈はサル類では割合よく発達しているがそれが橈骨動脈よりいっそう大きくなるのはやっと霊長類からである.それゆえ,人の尺骨動脈が橈骨動脈と同じかあるいはそれより小さい口径である場合は,この変異を先祖返りの理論で説明したくなるのである.尺骨動脈が手掌で尺骨動脈弓Arcus ulnarisを作り,橈骨掌側枝Ramus radiopalmarisを欠いている場合には尺骨動脈はより大きい口径を持つている.もし橈骨動脈が1本の橈骨掌側枝を出していると尺骨動脈の口径は橈骨動脈と同じか,またはそれよりも小さい.橈骨動脈が強大であればあるほど尺骨動脈は弱くなっている.純粋の尺骨動脈弓が人類型anthropomorpher Typusに近いものである.サルでは橈骨尺骨動脈弓Arcus radioulnarisが正常の形であって入間の場合にはとれは尺骨動脈弓よりまれであり(27%).そのため橈骨・尺骨動脈弓は先祖返りの性質をもつといえる.橈骨動脈とのつながりがなくて,しかも橈骨尺骨動脈弓に相当した形を示すものもおそらく橈骨尺骨動脈弓そのものと同じような系統発生学的の意味をもっている.それに対して弓状部を欠いている尺骨動脈弓に相当する変異は動物界ではどこにも見いだせない.正中尺骨動脈弓Arcus medianoulnarisと橈骨正中尺骨動脈弓Arcus radiomedianoulnaris,およびそれらで弓状部を欠いている諸例では,この血管の分枝様式に先祖返りの性格をあたえているものは人体にとって異常の存在といえる正中動脈なのである.(Anat. Hefte, 22. Bd.,1896)

 Adachiによると日本人では手掌の浅層の動脈はヨーロッパ人にくらべて発達がよくない.そして浅掌動脈弓もよりしばしば開放している.日本人では掌側の指動脈が深掌動脈弓かあるいは背側中手動脈に由来していることが多い.第3総指動脈ではこの関係が逆になっている.これらの問題についてはさらに次の文献を参照されたい.E. Schwalbe: Morph. Jahrbuch, 23. Bd.,1895 und Morph. Arb.,8. Bd.,1898-J. Tandler(u. E. Zuckerkandl):Anat. Hefte, 22. Bd.,1896.

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最終更新日 13/02/04

 

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